夜の商売を手放して、駿府城公園へ
「おでんやおばちゃん」が守る静岡おでん文化
静岡市の中心部、徳川家康が晩年を過ごした駿府城公園の一角に、小さなおでん屋があります。観光客が行き交う昼間から鍋を火にかけ、地元の子どもたちが駄菓子を手に取り、散歩帰りのお年寄りが一串つまんでいく。店主の杉浦 孝氏が、にこやかに迎えてくれます。
静岡おでんは駄菓子屋にあり。杉浦氏も子どものころから駄菓子屋のおでんに親しんで育ちました。27歳で飲食業界に飛び込み、おでんと出会う中で「これこそ静岡の伝統であり文化だ」と確信し、独立。駄菓子屋が減るなかで、静岡おでんの文化を絶やしたくない。そんな思いを胸に、2018年に駿府城公園に出店します。夜の商売を手放し、昼の公園でおでんを売ることを選んだ理由とは何か。場所と向き合い続けた末にたどり着いた、一つの商売哲学を聞きました。
おでんやおばちゃん 店主 杉浦 孝 氏
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おでん屋さん、夜の青葉横丁から昼の駿府城公園へ
─まず、お店の事業内容について教えてください。
駿府城公園の中で、静岡おでんを中心とした飲食店を営んでいます。場所柄、静岡の観光地でもあるので、おでんだけでなく、静岡のPRも兼ねてお土産や駄菓子なども扱っています。飲食店というよりも、静岡らしさをひとまとめに感じてもらえる場所、というイメージに近いかもしれません。
─現在の場所に来られるまでの経緯を教えてください。
もともとは青葉横丁という、静岡市内のおでん街で店を構えていました。ビルに挟まれた細い路地に、10人も入ればいっぱいになるような、小さなおでん屋が軒を連ねている横丁です。戦後、街の中心部でおでんの屋台を出していた人たちが、一軒間口の路地裏に移ったのが始まりです。長年、地元の常連さんに支えられてきた横丁で、今では多くの観光客も訪れる場所になりました。
2018年、駿府城公園に店をオープンしましたが、しばらくは青葉横丁の店と並行していました。しかし、夜の商売をしてきた自分が、駿府城公園という特殊な場所に店を出したのだから、ここでしかできないことをやった方が良いと考えて、駿府城公園のお店一本に絞ることにしました。

駿府城公園の店舗で、笑顔でおでんを手渡す杉浦さん。「来てよかった」と思ってもらえることが、この商売の原点だという
駿府城公園のおでん屋だからこそ、できる商売がある
─「夜の商売」から切り替えることへの迷いはありましたか?
正直、最初は戸惑いました。居酒屋の場合、基本は「アルコールを売ってなんぼ」です。でもここはそういう場所じゃない。子どもたちが遊びに来るし、近所の人が散歩に来るし、観光で訪れた家族連れもいます。そういった客層に対して、夜の居酒屋の発想で接客しても、うまくいくわけがありません。
むしろここでは、敷居をどれだけ下げられるかが勝負です。大人も子どもも、誰もが気軽に立ち寄れて、ちょっとつまんで帰れる。そのためにおでんの隣に駄菓子を置いたり、お土産コーナーを設けたりしながら、この場所に合ったお店の形を少しずつ作ってきました。
─駿府城公園だからこそできることは何だと思いますか?
ここは、観光地でもあり、マラソンなどのイベントをやる場所でもあり、地元の人にとっては日常にある公園でもある。こんな場所って、実はなかなかないんですよね。静岡市内に日本平という富士山と駿河湾を望める観光スポットがあるんですが、そこに来た人が「ついでに駿府城を見ていこう、さらにそのついでにおでんを食べていこう」と寄ってくれる。観光客の方には静岡おでんを入口にして、静岡の食文化を知ってもらえるし、地元の方にはふらっと寄れる身近な存在でいられる。
もし街中の居酒屋でやり続けていたら、この店づくりはできなかったと思います。
お店の入りやすさという意味では、店名に「おばちゃん」と名乗っていることも一役買っています。「おばちゃん」のはずなのに男性が立っている。しかも割烹着で。お客さんが「なんで?」と声をかけてきてくれる。その一言が、壁を取り払うきっかけになるんです。
第2回は、静岡おでんの奥深い世界
第3回は、杉浦さんの人生を変えたヒッチハイクの話と、今後の展望
をご紹介します
<会社情報>
| おでんやおばちゃん | |
|---|---|
| 所在地 | 静岡市葵区駿府城公園1-1 |
| 設立 | 2004年4月 |
| URL | |
| ※情報と肩書は取材当時のもの | |


