かばんの豊岡から驚きを届ける
服部が仕掛ける革製品の新たな可能性
江戸時代から続く商いの歴史を背負い、地域ブランド「豊岡鞄」の産地として知られる兵庫県豊岡市に拠点を置く「服部」。代表の服部清隆氏は、産地問屋としての役割を超え、自らミシンを踏んで技術を習得することで、メーカーとしての新たな道を切り拓いてきました。その根底にあるのは、料理好きな母から得たものづくりの本質や後押しでした。コロナ禍を「未来へ変わる好機」と捉えて経営理念を再構築し、革かばんだけでなく革の将棋駒など新しいものづくりへの挑戦を加速させています。
今後は次世代を育成し地域貢献に力を入れたいと語りながら、自身もワクワクするものを作り続けたいという熱い想いを持つ服部氏。その想いの原点についてお話を伺いました。
株式会社服部 代表取締役 服部 清隆 様
かばんの企画・製造から販売まで。豊岡の地で歩んできた歴史
─ まずは、御社の事業概要について教えてください。
当社は、一言で言えば、かばんをはじめとする関連商品の企画・製造・販売を手がけています。もともとは産地問屋としての役割が中心でしたが、今は自社オリジナル商品の開発にも力を入れています。
─ 非常に長い歴史をお持ちなのですよね。
はい。江戸時代の天保元年(1830年)に京都で創業しているのですが、明治期に「服部商店」として旅行用品などの雑貨を扱い始め、今の「服部」という屋号が始まりました。豊岡との縁が深まったのは明治末期のことです。柳行李(やなぎごうり)の仕入部門を豊岡に置いたのが始まりで、初代が「柳行李をかばんの形にできないか」と試行錯誤して創案したのが、今のかばんづくりの一つの起点になっていますね。終戦の年に本社を豊岡に移しました。
家業を支える決意と、母の言葉から得たものづくりの確信
─ 服部様はもともと家業を継ごうと考えていたのでしょうか?
大学卒業後すぐ家業に入ることになりましたが、僕はもともと板前になりたかったんですよ。うちは男ばかりで母親が倒れると立ち行かなくなるような家庭でした。なので、小学生のころから手伝いでずっと料理をしていたんです。学生時代も飲食のバイトばかりしていました。バイト代をしっかり貯めて、大学の卒業後は、仲の良い友人と海外へワーキングホリデーに行こうかなと計画していました。
ところが、卒業直前に家庭の事情が重なりました。両親は祖父母の介護、弟たちは受験……という状況で。長男である僕が戻って家を支えざるを得なくなったんです。正直、最初は嫌で仕方なかった。「いつでも逃げ出せばいいや」と思いながら、末の弟の中学校の面談や高校入学説明会には僕が親代わりで出席していましたね。
─ そこからどのようにして、かばん作りに向き合われるようになったのですか?
転機は、料理とかばん作りの共通点に気づいたことでした。料理の手伝いをする中で、母からいろいろなことを教えてもらっていました。よく覚えているのは「イワシは7回洗えば鯛の味っていうんだよ」という言葉です。イワシのような安い魚であっても、手間を惜しまず丁寧に仕事をすれば、鯛に負けない味になる。「ものづくりも一緒だ」と思いました。かばん作りも、手間をかけて素材の良さを引き出します。その工程の難しさや大変さは、料理と同じだと思ったんです。
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コロナ禍が転換点。理念を問い直し「無いもの」を作る未来志向へ
─ 当時は産地問屋としての仕事がメインだったのですよね。
はい。僕が家業に入った頃は、問屋業がメインでデザインや企画など、作る部分はしていませんでした。でも周囲を見ていても似たような製品が多くて、面白味がないというか、もう少し楽しい多彩なデザインの製品があってもいいのに、と不満だったんです。独創的なデザイナーが増えてきた時期だったので、「こういうデザインをうちでもやりたい」と思って、会社に頼んでミシンを買ってもらいました。近所の職人さんが教えてくださるというので、ご自宅に通い詰めました。
父からは「ミシンは経営者がすることじゃない」と言われましたが、母は「料理を作れんやつに味はわからない。かばんを作れんやつに良いものを作れるわけがない」と言って背中を押してくれました。
─ 制作にまで幅を広げてみていかがでしたか?
たまたま当社のかばんと知らずに買ってくれた職人さんが、作り手がうちだと知って「良いものを作るようになったな」とすぐ電話をくれたんです。それで少し自信がつきました。ただ、その頃は良いものを作れば売れる時代でしたが、今は違う。質の良さは当たり前ですが、やはり「ありそうで無いものを作る」ということに力を入れるようにしています。特に、コロナ禍で大きな打撃を受けたことで、経営理念の見直しから始めました。
─ コロナ禍当時はどういった状況だったのでしょうか。
仕事がパタッとなくなった時は流石に頭が真っ白になりました。どうしようと思っているところに、県の支援事業もあり、コンサルタントの方と相談しながら、経営理念から見直すことにしたんです。自分の腹の中にある思いを徹底的に言語化しました。長年の技術や経験と新しい取り組みを行っていることを伝えたい、お客さんにも満足して喜んでもらって、驚いてもらいたい。そんな思いをA4用紙数枚分に書き連ねたのですが、「それでは伝わらない、短くまとめてください」と言われました(笑)。AIも活用しながら、何度も何度も削ぎ落として凝縮していって辿り着いたのが、「長年のノウハウと新たな技術の融合に努め、エコロジーな商品とユニークな市場の創出に挑戦し続ける」といった今の理念です。
僕は「コロナのせいでこうなった」とは言いたくなかった。むしろ「コロナのおかげでこう変われた」と言える会社にしようと決めたんです。そこで経営理念を柱として打ち立て、スタッフには「今、僕たちは10年後の未来にタイムスリップしたんだ。そう思ってこれまでのやり方を変えていこうよ」と伝えました。当社が本当に実現したい将来像に目を向けてほしかった。今既にあるものをただ作って売るのではなく、やはり長年培ってきた技術や経験など、目に見えない部分にこだわりを持ち、それを未来に向けてどうやって「新しいもの」にして売るかを考えないといけないと思いました。
革の将棋駒。異業種との連携で広がる新しいものづくり
─「革の将棋駒」の開発も、その時期の挑戦だったのでしょうか。
そうです。コロナ禍でかばんの仕事が無い頃、新入社員の子に「何が好きなの?」と聞いたら「将棋です」と言うので、革で駒を作ったら面白そうだね、と。 実際作るとなったら文字はどうするんだ、などいろいろな壁がありました。そこで天童の山形県将棋駒組合さんに電話して、どなたか職人さんを紹介してもらえないかとお願いしました。そうしたら、3人くらい手を挙げてくださって。木工細工などの技術も教えてもらいながら、これまで培ってきたかばんづくりの革処理で牛革を何枚にも重ね、将棋駒のフォルムを作り上げました。作っていくうちに、将棋盤も作ろうよとか、ケースや内装をどうするか、など、いろいろ広がっていって面白いことができたなと思っています。他にも、革を使った「花札」や「リバーシ(オセロ)」なども手掛けたんですよ。

革ならではの経年変化も楽しめる、総革仕上げの将棋駒

「デザインハウス 風」とのコラボで生まれたリバーシ
まさに当社の理念に則ったものづくりができたと感じました。この将棋駒自体が売れなかったとしても、会社としての取り組みに共感してもらえたり、会社のことを知ってもらえたり、選んでもらうきっかけになると思っています。作った当時は、高校生だった息子からも不思議がられました。「お父さん、かばん屋さんでしょ?何やってるの?」と。でも息子が大学に進学してマーケティングを学んだあとは「お父さんがあの時将棋の駒を作ってたの、今ならよくわかるよ」と言ってくれたんです。それが本当にうれしかったですね。インターネットで「豊岡、鞄」と検索したら何千件と出てきます。そんな中で選んでもらうために何ができるか、ということを考えていたので。理解してもらえてうれしかったです。
─ その一環でBig Advanceも活用されたのでしょうか。
そうですね。マッチング機能を通じて良い出会いがあればと思って始めました。もちろん取引に繋がればうれしいですが、仕入れの観点で見ることもあります。当社とうまく融合できそうな技術があれば、新しいものづくりに繋げられるかなと思って。面白いものづくりの輪が広がることを期待しています。
出会いからの学びを次世代へ。育成と自己実現への想い
─ 服部様の人生において、最も印象に残っている出会いや影響のあった出会いはありますか?
一番はやはり、亡くなった母親の子どもでよかったな、ということですね。マザコンだと言われるかもしれませんが、そう強く思います。料理のことだけでなく、生きていくための本質みたいな、「人生とはこういうものじゃないの?」といったことを母からたくさん教えてもらいました。もちろん、父からもたくさんのことを教わりましたよ……。
また、先輩や同業の仲間たちとの出会いも大きかったですね。お酒を飲みながら「ものづくりには性格が出るんだよ」「興味を持つことが大事なんだ」といったことを語り合える存在がいました。そして家業に入った頃、営業に出て多くの人と会い、自分とは違う価値観や考え方を取り入れられたことも良かったです。こうした様々な出会いを通して交わした言葉やいただけた言葉が、すごく今の私を助けてくれています。
─ 最後に、今後の展望についてお聞かせください。
会社としては、次に引き継げる人をしっかり育てていきたいというのが第一です。そのためには、当社の理念を理解してもらえるように頑張りたいですし、僕が経験してきたことや技術は当然教えていきたいです。僕がとても大切にしているのは性格です。性格はものづくりに出ます。どんなにいい仕事をしても、相手の事を考えられること、感謝や謙虚さがあること、そういった性格の良さのある人じゃないとダメです。そして好奇心や興味。こういったベースがないと、何を掛けてもゼロなんです。好奇心や興味に、さまざまな経験を掛け算して成長できる人に託したいですね。地域にしっかり人材を残していくことは、本当の意味で地域貢献かなと思っています。
また、僕個人としては、今までやりたくてもできなかったことに挑戦していきたいです。世の中が求めていることと上手く擦り合わせながら、最後に少しだけ自己実現していきたい。新しいことにも挑戦して、僕自身、まだワクワクしていたいんです。そのワクワクが誰かに伝わって、世の中と共感できたら最高ですね。気持ちって伝染しますから!

<会社情報>
| 株式会社服部 | |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県豊岡市小田井町13-25 |
| 設立 | 1971年10月15日 |
| URL | |
| ※情報と肩書は取材当時のもの | |


