2026年08月03日

多国籍チームで支える造船塗装
香林工業が貫く「職人の道」

広島県呉市。あの有名な戦艦「大和」が誕生し、造船の街として知られるこの地で、新造船、修繕、艤装品まで一手に引き受けているのが株式会社香林工業です。社員の約8割がブラジル人やフィリピン人、ペルー人、ボリビア人といった多国籍人材で、求人もポルトガル語で発信。代表のダシルバ コリン マルシオ カズアキ氏自身もブラジル出身で、来日後さまざまな仕事を経験し、15年前にこの造船塗装の世界に飛び込みました。10年前に個人で創業し、2年前に法人化。一度覚えれば60代、70代まで活躍できる「職人の手仕事」を守り、育てる同社の歩みについて伺いました。

株式会社香林工業 代表取締役 ダシルバ コリン マルシオ カズアキ 様

下地処理と「磨き」の腕。多国籍の仲間と支え合う現場

─ まず、御社の事業内容について教えてください。

呉で造船関係の塗装業をやっています。新造船、修繕、それから艤装品(ぎそうひん:船体に取り付けられる、各種の設備や器具のこと)。塗装の仕事を全般的に手がけていますが、特に当社が自信を持っているのは、塗装前の「下地処理」と「磨き」の部分ですね。実際は一から十まですべて対応するんですが、その中でも下地処理の腕には昔から定評があって、よその会社にはなかなか負けないと思っています。腕のある職人が何人もいて、一番経験の長い人で30年選手。私よりずっと先輩なんですよ。社員の中でも10年以上続けてくれている者が多くて、そこは大きな財産だと感じています。

─ どんな規模の船を手がけられるのですか?

一番小さいもので25メートルくらいの船から、大きいものでは約300メートルの超大型船まで。コンテナ船やタンカーなど、ジャンルも幅広いですね。直接の元請けではないんですが、大手造船企業でつくられる船にも、間に入る会社を通じて関わらせていただいています。今は造船業全体が好景気で、お仕事の依頼を調整しないと回らないくらいの状況ですが、それに反比例して職人の数は減っていて、そこが業界全体の課題ですね。

─ 社員は何名いらっしゃるのでしょう?

今は社員8名と下請けを合わせて15〜20名くらいの規模ですが、香林工業自体は人材の8割くらいが外国人なんです。私自身もブラジル出身ですが、社内にはブラジル人もいれば、特定技能で来てくれているフィリピン人、それからペルー人やボリビア人、もちろん日本人もいて、かなり多国籍ですね。求人もポルトガル語で出しています。呉の造船業界は外国人がかなり多いんですよ。

特定技能の彼らを雇うには、入管に書類を提出して資格を取らなければなりませんし、定期的に提出する書類も多くて、かなり厳しい世界です。これは妻が一手に担ってくれていて、事務関係は全部任せています。私はパソコンが使えないので、妻がいなかったら、もうこの仕事は回せません(笑)。メールのやりとりも全部彼女ですし、本当に支えられています。

社内のコミュニケーションは、ほとんど日本語ですね。フィリピンの社員も、ある程度の日本語ができる方が来てくれていますし、わからない時はスマホの翻訳アプリが大活躍です。あちらから何か話してきて私が「ん?」となると、翻訳して見せてくれる。便利な時代になりました。それでも難しいときは、特定技能を仲介してくれている組合さんに通訳をお願いします。書類関係から法律関係まで全部サポートしてくださるので、とても助かっていますね。

マルシオ氏(右)と妻(中央)、従業員の寮の管理を担当する女性スタッフ(左)

リーマンショック時の出会いが、人生を変えた

─ マルシオ様ご自身は、どんな経緯でこの仕事に就かれたのでしょうか?

私は日本に来てから、出稼ぎでいろんな仕事を転々としていました。自動車部品、電子部品、本当にあちこちの工場で十数年働いてきました。広島に来て、ちょうど15年になります。

実はそのとき、リーマンショックで世の中の景気が悪くなっていて、「これはまずいな」と思ったんです。たまたま昔から知り合いだった、呉の造船関係の社長さんに電話したら、「景気が悪いから給料はそんなに出せないけど、仕事はあるよ。来てくれ。教えるよ」と言ってくれて。本当に激安の給料で入ったんですが、それが私の人生を変えた出会いでした。

初日に安全講習を受けてから、初めて大型船を間近で見たんです。当時で300メートル級のコンテナ船。「すごいな、これは」と。その瞬間に「この仕事をやりたい」と心から思いました。最初の2年くらいはきつかったですが、慣れてからはどんどん楽しくなっていきました。自分が携わった船が進水していくときの達成感は何ものにも代え難いですね。この社長さんは昨年亡くなりましたが、今もそのご縁が続いていて、甥御さんが受け継いだ会社には当社で働いていた者もいるんですよ。

─ 独立されたきっかけは?

当時入った会社は「磨き」専門で、その先のペンキ塗りや検査、品質管理にはタッチできなかったんです。でも私は塗装全般に興味があって、大手造船企業の本工さん(正社員・直接雇用の職人)たちにもいろいろと教えてもらい、知識を広げていました。「このままでは自分のやりたいことはできないな」と思い、自分で会社を起こすことにしたんです。たまたま弟がブラジルから来たタイミングだったので、ふたりで始めました。おかげさまで今は塗装全般を手がけられるようになって、当時やりたかったことはひと通り実現できています。自分としても満足していますね。

「手に職をつけてほしい」──若い職人を育てる

─ 社員の方々に、いつも伝えていることはありますか?

「この仕事を、自分の職業として身につけてくれ」ということですね。当社で覚えたら、よその会社に行っても困りません。今、職人が本当に足りないんです。出稼ぎで来ている人たちが、工場の流れ作業ばかりで繰り返しの仕事しかできないまま年を取ると、すぐに雇用を切られてしまいます。そうなると国に帰るしかなくなる。でも、職人として技術を身につけていれば、60歳、70歳になっても仕事を続けられるんです。

今の若い世代は、汚い・きつい・危ない仕事から離れていく傾向があります。造船は冬は寒く、夏は暑く、事故のリスクもあります。電子部品工場のような、エアコンの効いたきれいで安定した環境ではないですから、どうしても選ばれにくい面があります。それに、職人として一人前になるまでに、5年ほどはかかります。その間は給料も高くは出せない。だから途中で辞めてしまう人が多いんですが、その壁を乗り越えれば、その後はずっと続けられる仕事です。

私自身、普段からずっと現場に立っているのは、新しい社員を自分のすぐそばで育てたいからです。自分のやり方や考え方を、直接伝えたいんですね。今は体調を崩して昨秋から少し休んでいますが、復帰したらまた現場に戻ります。

現場第一主義を貫くマルシオ氏

Big Advanceで新しいご縁を広げたい

─ ホームページや情報発信については、いかがでしょうか?

当社のホームページは、メインバンクからの勧めで担当者の方につくっていただきました。実は妻は元職員なんです。私が窓口でお声がけしたのがきっかけで(笑)、家族になって、今は会社の事務もすべて任せています。これも人生の大きな転機のひとつですね。金融機関には何かと相談させてもらえる関係が今も続いています。

私たちの業界は会社と会社のやりとりで仕事が回るので、正直なところ、ホームページからの問い合わせはほとんどありません。でも、こうして取材記事として取り上げてもらったり、検索すると会社の情報がきちんと出てきたりするのは、信頼に大きく関わると感じています。今はホームページがあって当然、ないと不安に思われる時代ですよね。

これまではずっと業界内のつながりで仕事や人材を回してきました。その形は維持しながらも、今まで届かなかった人にも香林工業を知ってもらえる場となったらと考えています。

─ ちなみに、奥様は金融機関から会社の事務へ。大きな転身でしたね

そうですね、2019年でしたから、もう7年近くになります。最初は言葉の壁で苦労していました。妻はポルトガル語が話せるわけではないですし、社員も日本語が完璧というわけではないので、何かを頼むときに「どう伝えればいいか」と悩む場面が多かったようです。でも今ではすっかり頼れる存在で、私が現場でやるべきことに集中できるのは、彼女が支えてくれているからです。

身の丈で、職人の手仕事を守り続ける

─ 最後に、今後の展望について教えてください。

正直に言うと、会社をそこまで大きくしたいと思っているわけではないんです。今いる仲間と、新しく入ってくれる人材を大事に育てて、目の届く範囲できちんと仕事をしていきたい。人を増やしすぎると、どうしてもほころびが出てきてしまいますから。

ただ、人材不足の解消は引き続き、業界として大きな課題です。若い世代にも、この仕事のおもしろさや、手に職をつけることの強みを知ってほしいと思います。同じ作業の繰り返しではなく、自分が携わった船が海に出ていくのを見たときの達成感は、本当に格別ですから。

これからも、職人としての腕を磨きながら、多国籍の仲間たちと、家族のような会社をつくっていきたいですね。

<会社情報>

株式会社香林工業
所在地 広島県呉市音戸町波多見6-5-23
設立 2023年2月
URL

https://www.big-advance.site/c/149/1805

情報は取材当時のもの。
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