海を渡ったハンドドライヤー。日本初のメーカー・東京エレクトロンの半世紀
手を当てて30秒経っても、まだ濡れている。日本で初めて製造・販売されたハンドドライヤーの一台目です。神奈川県愛川町にある東京エレクトロン株式会社は、半世紀以上、ハンドドライヤーを作り続けてきました。同社の製品は台湾の新幹線や韓国の地下鉄にも据えられるなど、海外にも拡大。一方でコロナ禍により主力製品が大きな打撃を受けました。四代目として何を受け継ぎ、何を渡そうとしているのか。井上聖一代表に伺いました。
東京エレクトロン株式会社 代表取締役 井上 聖一 様
1960年創業、日本初のハンドドライヤーメーカー
─ まずは御社の事業内容を教えていただけますか?
1960年に創業した電気機械の製造業です。といっても大型の装置ではなく、家電にちょっと毛が生えたぐらいのもの。業務用の電気や空気の機械を、必要としているところに供給しています。メインはハンドドライヤーで、その他にもアルコール噴霧器や捕虫器などを製作しています。私は四代目ですが、四代とも血縁関係はありません。私も社員から社長になりました。
─ 日本で初めてハンドドライヤーを製造販売されたと伺いました。
初代の社長がアメリカでハンドドライヤーを見て感動して、これを日本で作りたいと思ったことが始まりだったと聞いています。当時、日本で普及していたのはキャビネットタオルという、輪っか状のタオルをガラガラと回して手を拭くタイプのものでした。そこにハンドドライヤーを持ち込んだわけですが、全然乾かなかったそうですよ。30秒当ててもまだ濡れているような代物で、それでは普及しませんよね。最初に開発した人はかなり苦労されたんじゃないかと思います。
─ 今の製品とは、形も違うのでしょうか?
形状は全く違いますよ。象の鼻のようなノズルが付いていて、その先にセンサーがあって、手を出すと風が出てくる仕組みです。ただ、現物はもう残っていません。
20年以上前になりますが、北海道の歯科医院から「壊れたから直してくれ」と送られてきたんですよ。私も前の社長も、その機械の存在すら知らなかったので、ぜひ当社に残したいから売ってくれませんかとお願いしたんですが、「これが気に入って使ってるんだ」と断られてしまいました。だいぶご高齢の方でしたけど、ずっと使い続けてくださったんでしょうね。修理してお返しして、数年後に改めて連絡しましたが、もうつながらなかった。そのときに撮った写真だけが、唯一残っています。

唯一残る初号機の写真
─ 60年以上のあいだに、たくさんの機種が生まれてきたんですね。
当社はちょっと変わっていて、型番に考えついた人の名前の頭文字を付けているんです。名前が付いていると、みんな頑張って売りますからね。それだけは一生懸命に(笑)。
今も販売しているKBR101は、小林さんが作ったのでKBR。TRKは照子さん。WTNBは渡辺さん。皆さんの顔が浮かびますよ。社内では「渡辺さんの修理が入ったよ」なんて言ってね(笑)。
台湾の新幹線、韓国の地下鉄。海を渡ったハンドドライヤー
─ 台湾の鉄道で採用されたと伺いました。
台北から高雄(カオシュン)まで走っている新幹線の車両で使用されています。あの新幹線は、もともとドイツ・フランスと提携していたんですが、トラブルがあって途中で撤退してしまった。それで、車両をどうするかとなって、日本の大手車両メーカーが引き受けることになったんです。
海外では長距離列車にハンドドライヤーを付けるのが当たり前でしたが、台湾ではハンドドライヤー自体がほとんど普及していなかった。それで、車両メーカーさんが日本製で使えるものはないかと何社か当たったようです。当社の製品は日本の車両に付いていましたから、それで声をかけてくださったんでしょうね。
─ 御社の製品が選ばれたということですね。
車両の洗面台に収まらなければいけませんからね。幅14cmほどの、縦長で細いステンレスの小型機がありまして、それが採用になりました。
当時は電気用品の法規制が厳しかったこともあり、日本国内向けに作ったものをそのまま搭載するしかなかったんです。だから日本語のシールを貼った製品が、車両に載って海を渡っていった。今でも、台湾の新幹線には、日本語で社名が書かれたハンドドライヤーが付いていますよ。
─ 韓国の地下鉄にも納入されていますね。
はい、地下鉄の駅のお手洗いですね。
もともと韓国に工場があったんです。当社の製品はほとんどがプラスチックの成形品ですから、安く材料を調達できる国を検討していたところ、社員だった韓国の方が、自分の田舎には産業がほとんどないんだ、と。工場があれば雇用も安定するし、息子がソウルに出なくて済む。そう言って故郷に土地を探してくれたんです。扶余(プヨ)という、昔の百済の都があったあたりです。それで現地法人を作りました。韓国で材料を集めて日本に送って、それを長野の工場で組み立てていたんです。
ただ、現地に材料がそろっているわけですから、組み立てれば製品が作れるんですよ。そのことが伝わると、役所の方が「うちの設備に付けてくれないか」と話を持ってきてくださって。そこから少しずつ製造販売を始めたんです。それが知れ渡ってきて、今度は鉄道の方もやってくれないかという話になりました。
社員旅行の行き先にもしてましたよ。もっとも、みんな工場はちらっと見ただけで、あとはソウルへ行っていましたけどね(笑)。
─ ほかの国からも鉄道の案件はあったのでしょうか。
ブラジルの新幹線がありましたが、断ったんです。地球の裏側でしょう。何かあったときにメンテナンスに行けませんから。イギリスの話もありました。国内の大手メーカーから打診をいただいて、イギリスなら設置に行きたいなと思って、詳しく伺ったんです。そうしたら、もう設計図面ができあがっていた。トイレのキャビネットがずいぶんおしゃれで、押すとバネで開くガラスの扉の中にハンドドライヤーを納めたいというんですけど、機械を入れる部分が流線形なんですよ。機械はだいたい四角ですから、どうしても入らない。「ここを削れば……」なんて言われましたけど、そう簡単な話ではありません。納期を聞いたら、4、5か月しかない。図面も今さら変えられないと言われて、それで流れてしまいました。あれはちょっと……本当に残念でしたね。
─ 鉄道の案件は、御社にとってどういう位置づけなのでしょう。
実は、鉄道の案件から次の仕事につながることは、ほとんどないんですが、一度に大量に注文をいただけるのはありがたいですね。それに「車両に付いてるよ」と言えるでしょう。そうすると「あれ見たよ。うちにも欲しい」という話が出てきますから、宣伝効果としては良いかなと思っています。

ハンドドライヤーを紹介してくださる井上代表。手前はアルコール噴霧器。
東京エレクトロンとの出会い。社員から、四代目社長になるまで
─ 井上代表にとって印象的な出会いのエピソードを教えてください。
そうですね、この会社との出会いのお話をしましょうか。
大学を出て大手の飲料メーカーに勤めていたんですが、7年で退職しましてね。7年続けられたことは自慢です(笑)。当時はバブルの真っ最中で、どこにでも就職できたんです。それでどこに勤めようかと思っていたら、先輩が「辞めるんやったら俺から一言」と言うんですね。何かと思ったら「1年間、仕事するな」と。資金が尽きて生活が苦しくなれば、真剣に探すだろう。お前の性格だと、すぐ就職してもあっちへふらふら、こっちへふらふらしちゃうよ、と。
─ 実際に、1年間……。
仕事しませんでした(笑)。妻と見合いをして、付き合い始めてすぐだったんですけどね。まあ、何かやらなきゃと化粧品の訪問販売を始めましたが、半年ほどで挫折しまして。
そんな時に、キャビネットタオルのレンタルをされている方と知り合ったんです。その方が「これからはハンドドライヤーの時代だよね」と。ちょうどお客さんがタオルから乗り換え始めていた頃だったんですね。それで、ハンドドライヤーを作っている会社が神奈川にあるから一緒に販売しないかと誘われて、二人でそこを訪ねました。
─ 商売になりましたか。
当時、ハンドドライヤーの機械はとても高額だったので、販売ではなくレンタルにしました。元が取れたら、そこから先は全部儲けになると考えたんです。
大手流通グループの本社に飛び込んで、系列のチェーンに片っ端から売り込んだんですが、なかなか相手にされませんでした。そんな時に「月に2,800円、店を辞めた場合は返却いただければ料金はいただきません」と言ったら、あるハンバーガーチェーンが取引してくださることになったんです。それからはひっきりなしに注文が入りました。
─ そこから東京エレクトロンにつながるのですね。
導入していたメーカーの機械に不具合が出て、100台以上を一斉に入れ替えることになったんです。代替機を必死に探して見つけたのが、東京エレクトロンでした。
当時の社長が事情をわかってくれて、「破格の値段でやってあげる」と手を差し伸べてくれたんです。ふたを開けたら55,000円が50,000円で、ほんのちょっと安いだけでしたけどね(笑)。それでもパワーがあって、これはいい商品だなと思っていたところ、その社長から連絡が来たんです。営業部長が事故で亡くなって、若い社員の面倒を見てほしい、社員として来てくれないかと。
妻がレンタル業より安定しているからと勧めるので、社員になったんですが、その6、7年後には社長になっていましたね(笑)。

主力製品が止まった。それでも次の一台を
─ コロナ禍では、業界も大きく変わったのではないでしょうか。
「感染防止のため使用禁止」という紙が貼られていましたよね。今でも見かけますよ。ハンドドライヤーで感染が広がるという認識が広まってしまって。実際はそんなことないんですけど。イメージって恐ろしいなと思いました。
当社の売り上げの主力製品がハンドドライヤーですから、消毒用の噴霧器がいくら売れても価格帯が違います。噴霧器が1万台売れたところで、ハンドドライヤーが3千台に落ちればマイナスです。
─ 回復までにはどのくらいかかったのですか。
いまだに回復できていません。本当に苦しいところです。
十数年操業した韓国の工場も、2024年に閉めました。あそこはハンドドライヤーしか作っていなかったので、日本で売れなければ仕事がないわけです。本社でも主だった人が辞めていきました。後を継いでくれる予定の人もいたんですけどね……。
苦しいことに変わりはありませんが、工場にパレットで何百台と積んであった、韓国から届いた在庫が、いつの間にか全部はけました。また組み立てるところまできましたから、お客さんのおかげですよ。
─ これからの展望や構想をお聞かせください。
ハンドドライヤーは、その風のせいでウイルスがうつってしまうという誤った認識が広がってしまいました。だったら、出てくる風に何か工夫をして、空気中のウイルスを殺せたらどうだろう、と。今、少しずつ動いているところです。アイデアというより、わらをもつかむ気持ちで、なんとかしなきゃと思って。
自分が思いつくものは、ほとんど世界中にある。だから、今ある製品をマイナーチェンジしながら変えていく。世にないものを作ることは難しいけれど、より良いものを突き詰めていく。現実味のある開発のほうが、性に合っているのかもしれません。
そうやって会社を良くして、次の人に引き継ぐ。それだけですね。
─ 最後に一言おねがいします。
そうですね、皆さん、買ってください(笑)。
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<会社情報>
| 東京エレクトロン株式会社 | |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県愛甲郡愛川町半原3810-1 |
| 設立 | 1974年5月(創業:1960年) |
| URL | |
| ※情報と肩書は取材当時のものです | |


