多様化の時代に売れ続ける商品とは?
創業100年を迎える浪速製菓に学ぶ時代を捉える力

昭和2年(1927年)に大阪で創業後岐阜県に移り、まもなく創業100年を迎える浪速製菓株式会社。商談会に複数回参加し次々と成約に至っています。伝統的な商品を大切にしながらも、時代に合わせた新商品を生み出し、顧客層拡大に挑む山田誠代表と、営業担当の山田宏紀氏にこれまでの経緯や事業に対する想いをお伺いしました。
浪速製菓株式会社 代表取締役 山田 誠 様 営業部 山田 宏紀 様
こんぶ飴の誕生と浪速製菓の挑戦
―御社の歴史や背景、事業内容を教えてください
山田代表:浪速製菓株式会社は、昭和2年に大阪で創業しました。当時、大阪では昆布巻きや昆布の佃煮などの流通量が多く、「栄養価の高い昆布をもっと手軽に食べることが出来ないか」と考えた創業者が、お菓子としてこんぶ飴を考案しました。
第二次世界大戦時に食糧統制により一時工場を閉鎖、創業者の故郷である岐阜県に移り、終戦後にそのまま岐阜県で製造を再開しました。ものがない時代において、砂糖を使った甘いお菓子は貴重だったため消費者に手に取っていただける機会が多く、次第に馴染みのある商品になっていったそうです。
当時はキャラメルのような四角い形で、水飴や砂糖で固めた商品を提供していましたが、試行錯誤を重ね現在の形であるソフトキャンディタイプのこんぶ飴にたどり着きました。
また、時代の変化に適応していかなければいけないということで、キャンディーやゼリー、キャラメルなども製造するようになりましたし、OEMにも対応しています。現在の売り上げの多くはOEMとなっており、担当営業が直接お客様と話し合いながら、若い世代にも受け入れられるような商品開発を行っています。
ただ、やはり自社商品が売れるのが一番です。既存顧客にアピール出来る新商品を作り続けながら、新しい層も狙っていかなければいけないので自社商品の商品開発には力を入れています。
安心と利便性を提供するBig Advanceの魅力
―Big Advance導入のきっかけと現在の活用方法を教えてください
山田代表:きっかけは岐阜信用金庫様の担当の方のおすすめでした。安価で様々なサービスが提供されていますし、全国の企業が登録されているので販路が広がる可能性がありますよ、と。また、新規の企業様と取引する時にはどんな企業なんだろう、と信頼性の面がやはり気になるんですよね。その点においてBig Advanceは金融機関が介在している安心感がありましたので導入を決めました。事業が停滞していた時期もあったのですが、Big Advanceとそれを使いこなす若い力もあり、事業が順調に進むようになりました。
山田宏紀氏:主にマッチング機能を利用していて、定期的に検索をしています。操作で分かりにくいと感じるところが少なく、直感的に使えて簡単でいいですよね。また、安否確認やFUKURI(クーポンサイト)に興味を持っています。災害の多い日本では企業として必要な機能だと思っていますし、クーポンは従業員への福利厚生にもなりますから検討したいですね。
商談会参加から成約へ 取引先との顔合わせの機会にも
―2年連続でえんむすBA(Big Advanceの商談会)に参加いただいていますがいかがでしたか?
山田宏紀氏:直近で開催された商談会では何社か商談をさせていただきました。初めましての企業様と1回目で商談成立することはなかなか無いですから、会社や商品の説明をして、次の商談の土台作りをして、現在も継続してお話をさせていただいているところです。
昨年の商談会では、社内の展示会に参加しないかというお話をいただいたので、展示会に参加させていただき、そこから成約した形になりますね。
また、商談会をちょっと変わった形で使わせていただきまして、以前よりお取引があった企業様がいたのですが、メールや電話のやり取りのみで直接会ったことが無かったんですよ。先方も忙しそうでお会いする時間を取ってもらうのは気が引けていたのですが、ちょうど商談会に参加されるということでご挨拶する機会として活用させていただきました。
「白線流し」の高校時代が刺激に
―お二人の人生の中で、印象的な出会いや出来事を教えてください
山田代表:創業者が祖父なんですが、同居して育った時にすごく厳しかったのを覚えています。履き物はきちんと揃えるというようなマナーや、人に対する礼儀を学びました。また、高校では道徳を重んじる学校に行かせてもらったのですが、全寮制だったので先輩後輩との人間関係を学べたことはその後に活きていると思います。
現在は岐阜信用金庫様の繋がりで「青年重役会」に参加させていただいており、次の世代の経営者の方、異業種の方と関わる機会を持つようにしています。人生の変わり目にはいつも人間関係の大事さを実感してきました。
山田宏紀氏:私は高山の高校時代ですね。「白線流し」という、ドラマにもなったことがあるんですが、私の高校の行事が元なんですね。高山は周りに大学がなく、一番近い大学が富山県や松本市、岐阜市なので、高校を卒業して大学に行くとなると地元を離れなければなりません。高校卒業が友との別れになる、ということで学生帽の紐と女子生徒のスカーフを結んで一本にして、学校の近くの川に流して友との友情を誓います。様々なタイプの人が集まっていた高校だったので、卒業後の進路も皆バラバラでした。3月になると懐かしいなと思い出します。高校での出会いは良い刺激だったと思います。
100年の歴史を紡ぐこんぶ飴のグローバル展開と次世代への継承
―最後に、今後の事業の展望を教えてください
山田代表:100年近くやってきているので、今までの伝統的な商品も大切にしつつ、新規顧客の掘り起こしを目指していかないといけません。こんぶ飴はオリジナリティのある商品なので時代に合わせなくても売れる商品だと思っていましたが、近年はそうも言えなくなってきました。
昭和、平成から令和になり物もあふれる時代になりましたし、消費者の嗜好も多様化しているので、いかにして手に取り続けていただける商品にしていくかが課題です。年配の方には馴染みのある商品だと思うのですが、次世代の方となると「おじいちゃんの家で見たことがある」というように少し縁遠くなっているのかなと感じます。若い世代でも食べたことのある方にはありがたいことに「美味しい」と言っていただけるのですが、たくさんの商品がある中で購入するまでに至らないのがなかなかもどかしいところです。
原材料にこだわり無添加で作っているので、小さい子供をお持ちのお母さんなどのファンは多くいるんですよ。また、「昆布」は健康的な成分が豊富に含まれている食品ですので、福祉施設など健康に気を使う場所やオフィスのおやつなどで食べていただけると嬉しいです。そういった場所に届くように努力していきたいです。
また、日本は人口減少が続いていて当然顧客の絶対数が減っていくので、世界に目を向けないといけません。世界基準に適した水準、規格や認証などハードルはありますが次の世代につなげるために、そういった挑戦は必要なことと考えています。
全てを一気には出来ないので少しずつ、まずは時代に合った商品開発をしていきたいですね。

左から岐阜信用金庫・間宮氏、山田宏紀氏、山田代表
<会社情報>
浪速製菓株式会社 | |
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所在地 | 岐阜県本巣市温井字中割243-4 |
設立 | 1927年 |
URL | |
※情報と肩書は取材当時のもの |