「あらゆる天気を楽しめる世の中に」
老舗傘メーカー・小川が開発した子ども用日傘
日本で初めてビニール傘を生み出した名古屋の老舗傘メーカー・小川。創業93年の歴史を背に、三代目・小川恭令氏が2019年に仕掛けたのが「子ども用日傘」でした。発売直後は在庫を大量に抱える事態に陥るものの、今年(2026年)は20万本を製造。わずか数年の間に、前年の倍のペースで売れるまでに急成長しています。
商品開発の裏にあったのは、人とのつながりを大切にする一貫した姿勢です。コロナ禍での経営危機も従業員を守り抜き「かんどう創造企業」という理念のもと、従業員を何より大切にする経営哲学と、社会に貢献し続ける想いについて伺いました。
株式会社小川 代表取締役社長 小川 恭令 様
洋傘の老舗、始まりは日傘に着せた一枚のビニール
─ まずは、御社の事業内容と歴史について教えてください。
雨傘、日傘、レインコート、レインシューズを中心に製造し、全国の専門店や量販店に卸しています。近年はECにも積極的に参入しています。創業は1933年、私は三代目で、愛知県の中でも古い会社かと思います。
─ 日本で初めてビニール傘を開発した会社だと伺いました。
1950年代、ポリ塩化ビニールという素材が日本で一般化してきた頃に、祖父が開発しました。当時はこうもり傘と呼ばれる黒い雨傘が主流でした。日傘は女性用の絹や麻の生地に刺繍が入っているような高級品だったんですが、防水を考えて作られていないので、当然雨には弱い。そこで、日傘の上にビニールのシートを被せて、雨でも使えるようにしようと考えたんです。ビニールを縫うと水が漏れてしまうので、開発にはかなり苦労したと聞いています。この傘カバーが発展して、雨傘としてビニール傘になりました。こうもり傘しかなかった時代ですから、花柄や幾何学柄を透明のビニール生地にプリントした、おしゃれな傘は画期的だったそうですよ。
販売は国内よりも海外が主で、名古屋の大手商社を通じて、主にアメリカの東海岸・西海岸へ輸出していました。父の代になった1970年代前半、変動相場制に移行したことで急激な円高が進みました。折しもオイルショックとも重なった時期で、輸出主体だった商売が苦しくなりました。そこで国内向けに舵を切り、「河馬印」というブランドで国内販売を始めました。ちなみに、傘カバーと動物のカバをかけたネーミングです。

─ 三代目として会社を継ぐことは、早くから決めていらっしゃったんですか?
正直に言うと、最初から継ぐつもりだったわけではありません。大学4年生になっても、まだ進路を決められず、2ヶ月ほど中国を放浪していました。船で上海に着いて、そこから電車で内陸の新疆ウイグル自治区のウルムチまで旅をしました。40年前の中国ですから、今とはだいぶ違うんですけど、文化や歴史はもちろん、広大な土地とか、空気や匂いとか、本当に刺激を受けました。答えが出ないまま、卒業後は父の勧めもあって、大手傘メーカーに入社し営業担当になったものの、なかなか前向きになれずにいました。そんなときに、東北エリアの百貨店で大きな予算を任され、商品提案の仕事が好きだと気づいたんです。
同じころ、祖父が亡くなり、お葬式で従業員の方々の顔を見て、うちの家業は代々引き継がれてきたということを初めて意識しました。それが、自分のやりたいことと家業とが重なっていくきっかけでした。
今、中国の工場に製造をお願いしているのですが、私が開拓したんです。何がしたいか分からず飛び出した、あの旅から縁が巡っているようで、感慨深いですよね。
デザイナーの妻との出会いが、会社を変えた
─ 旅の”縁”のほかに、人との出会いで転機になったことはありますか。
役員として一緒に会社を支えている妻との出会いです。前職の同期で、デザイナーなんです。
私が家業に入った当時は、取引先のOEMブランドを作って納めることが中心で、下請け業務が主でした。当時からキャラクターライセンスを持っていた「スヌーピー」ですら、デザインを外部の方にお願いしていました。
そこに妻が加わったことで、自分たちで色やデザインを考えられるようになったんです。スヌーピーの商品も少しずつ自社で手がけられるようになり、国内の大手キャラクター企業からライセンスを得ることにもつながりました。キャラクターを扱っていたので子ども用の雨傘がメインだったのですが、次第にレディース向けの雨傘も自社商品として挑戦できるようになりました。
下請け企業だった当社が、お客様に自社デザインの商品を提供できる会社になったのは、間違いなく妻がいたからです。
─「河馬印」というブランド名は、今も使われているのでしょうか。
じつは私が入社した1992年には存在していませんでしたが、2020年、30年近い歳月を経て、「河馬印本舗」として復活しました。傘が簡単に使い捨てられる消耗品になってしまった現状を前に、ビニール傘発祥の会社として、新しいものを作っていこうと考えていました。そんな時、社員から「河馬印」を復活させようという声があがったんです。
単にビニール傘を復刻するのではなく、今の小川ができることは何かを考え、ブランドを作り直しました。当社の強みは、祖父から始まった「ものづくりの歴史」に裏打ちされた品質と、妻が加わったことで得た「デザイン力」です。この二つを掛け合わせ、和と洋のモダンをミックスしながら伝統色を意識したデザインに仕上げています。これが、今の河馬印本舗です。

30年近い時を経て復活した「河馬印本舗」の晴雨兼用日傘
子ども用日傘、コロナ禍での起死回生
─ いまや御社の看板商品となっている子ども用日傘は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
開発を始めたのは2018年です。もちろん、レディースの日傘はありましたし、メンズ向けも出始めていました。その年はひどい猛暑で、社内で打ち合わせをしていた時に、「なんで子ども用の日傘がないんだろう」「背が低い分、照り返しを強く受けるのに」という話が出ました。当社は子ども向けの雨傘を古くから作ってきましたから、子どものための日傘を作ろうと企画し、2019年から販売を始めました。
─ 発売当初の反応はいかがでしたか。
全く売れませんでしたね。何千本も在庫になって、正直かなり厳しい状況でしたが、諦める気持ちは毛頭ありませんでした。翌2020年、コロナ禍がやってきて、その年の春は、ビニール傘の生地を使ってフェイスシールドを作っていました。そんな時、豊田市のある小学校が、ソーシャルディスタンスと熱中症対策で「傘差し登校」を始めたと耳にしました。
それで、私から校長先生に電話したんです。子どものために日傘を作っている会社なので、傘差し登校をされているなら、ぜひ私たちの日傘を使ってほしいとお願いしました。教育委員会にも掛け合いました。当時はまだ雨傘で代用している状態だったので、雨傘に比べて、日傘は日を避けやすく熱中症にもかかりにくいということを、データをお見せして説明したところ、当社の日傘を使っていただくことになりました。実際に小学1年生の教室にお邪魔し、日傘の使い方をお伝えして寄付をさせていただきました。
テレビ局などの取材も増え、SNSでも話題にしていただいて、翌年から少しずつ売れ始めました。今年(2026年)は20万本ほど製造することになっています。去年が10万本でしたから、そこからさらに倍増している状況です。
ラインナップも広がり、雨の日にも使える晴雨兼用タイプや、夜道でも目立つ反射材付きの折りたたみ傘など、通学時の安全と快適さを考えた商品を展開しています。

尖らない先端、選べるサイズ、高い遮光性。「子どものため」を形にした日傘。
「かんどう創造企業」という理念と、諦めない理由
─ コロナ禍で経営的に厳しい時期もあったと思います。乗り越えられた理由は何だったのでしょうか。
2020年4月、5月は従業員に休んでもらわざるを得ない状況で、正直かなり苦しかったです。それでも乗り越えられたのは、人とのつながりを何よりも大切にしてきたからだと思っています。従業員やその家族を絶対に守らなければいけない、という気持ちが最後の砦でした。
─ そうした中で、子ども用日傘も諦めずに続けられたんですね?
諦めなかったのは、当社の理念「かんどう創造企業」に立ち返ったからだと思います。「かんどう」は平仮名で、お客様に「感動」していただける商品を届けるという意味と、スタッフに「働く歓び」を感じてもらいたいという意味の「歓働」です。そしてビジョンとして掲げているのが、「あらゆる天気を楽しめる世の中に」ということ。雨が降ろうと、暴風雨になろうと、それを楽しめる世の中にするために商品やサービスを提供する。この軸がぶれなかったからこそ、子ども用日傘も諦めずに続けることができたんだと思います。
従業員と会社が、一緒に冒険する
─ 今後、力を入れていきたいことを教えてください。
もちろん、これからも会社を成長させていきたいです。ただ、そのためには、従業員一人ひとりの人生と会社の歩みをリンクさせることが大事だと思っています。社長と従業員は主従関係ではなく、それぞれが自分の人生を生きながら、会社と一緒に前に進んでいく。私はそれを「冒険」と呼んでいます。従業員も私も、わくわくしながらそれぞれの旅路を歩み、会社の成長と重ねていく。それが、今描いている展望です。
創業から93年、目指しているのは100年企業です。これからも「あらゆる天気を楽しめる世の中に」するために、挑戦を続けていきたいと思っています。

大きくて軽いと、メンズ・ユニセックスの晴雨兼用傘も人気商品。編集部スタッフも実際に購入し、愛用しています。
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<会社情報>
| 株式会社小川 | |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市中区丸の内3-6-26 |
| 設立 | 1949年6月(創業:1933年) |
| URL | |
| ※情報と肩書は取材当時のもの | |


