「何百回失敗してもやり直す」
正氣屋製菓の「へこたれない」哲学とは

1925年創業、今年で100周年を迎える大阪の正氣屋製菓株式会社。ナショナルブランド(NB)メーカーを一切扱わず、北海道から沖縄までの地域限定中小メーカー約3万アイテムに特化した独自の菓子問屋として成長を続けています。「雑魚は磯辺で鯨は沖で」の哲学のもと、過当競争を避けて利益率をグッと増加させました。稲盛和夫氏から学んだ経営哲学と、65歳での初マラソン完走に象徴される挑戦の精神で、300年企業を目指す想いについて代表の安井氏に詳しくお聞きしました。
正氣屋製菓株式会社 代表取締役社長 安井 栄一 様
メーカーから問屋へ、100年の歴史
─御社の創業から現在までの歴史を教えてください。
当社は1925年創業、今年(2025年)100年目を迎えます。私が3代目の社長をさせてもらっています。
私の祖父は黒豆で有名な丹波篠山(たんばささやま)市の出身で酒屋の次男でした。中卒で姫路のお菓子問屋で修行をした後、25歳で大阪の西区江戸堀というところで起業したようです。現在の場所へ移ってきたのは戦後すぐになります。
当時はお菓子メーカーとして「奉天(ほうてん)」という、かりんとうを飴で包んだ白い棒みたいな駄菓子を作っていました。5〜60年前から問屋一本になったのですが、社名に「製菓」という文字が入っているのはメーカーだった時代があるからなんですね。
「愛菓子」3万アイテムの独自戦略
─御社の特徴を教えてください。
当社の特徴は、テレビ宣伝をしてコンビニに置いているようなナショナルブランド(NB)メーカーを一切扱っていないことです。
NBメーカーの反対にあるお菓子を「愛菓子(まながし)メーカー」と命名しました。私の造語なんですが、愛情の「愛」に「菓子」と書きます。地酒みたいなイメージで、北海道から沖縄までの地域限定的な中小メーカーに特化して、約3万アイテムを持っている菓子問屋です。
一般的なお菓子問屋の年商の80%は、NBメーカーで占めているところが多いです。年商がいくらであっても、その80%はNBメーカーが占めていて、あとの20%が愛菓子メーカーなんです。当社は100%が愛菓子メーカーで、一切NBメーカーは扱っていません。
─なぜNBメーカーをやめる決断をされたのですか?
20年ほど前、私が社長になった時に全面的にやめました。NBメーカーというのはどこからでも手に入るため商品が同質化し、必然的に価格競争になるんですね。そうした過当競争の荒波に飲み込まれる可能性があったからです。
NBメーカーをやめたことで、当然年商はぐっと下がりました。でもその分を愛菓子メーカーで地道に埋めていったんです。そうしたら利益率がかなり上がりました。過当競争に飲み込まれないようにした結果、会社を100年続けることができました。
「雑魚は磯辺で鯨は沖で」身の丈に合った商売を
─NBメーカーをやめるというのは相当大きな決断だったと思いますが、経営で大切にされている考え方について教えてください。
大阪府羽曳野市にアトム電器チェーンという会社があって、そこの会長さんに教えてもらった言葉があります。「雑魚は磯辺で鯨は沖で」という言葉です。
アトム電器さんは、日本全国900店舗を展開するフランチャイズチェーンです。大型の家電量販店に安さでは負けるかもしれませんが、店員の方が近所の方々と顔見知りになって、フェイス・トゥ・フェイスの営業をしています。大型の家電量販店にはできない、地域密着型のサービスを強みにしているんですね。
小さい魚は水深の浅い浜辺で泳ぎましょう、大きな鯨は太平洋で泳ぎなさい。そういう棲み分けをしましょうという話です。それで言うと当社は小さな魚なので、水深の浅いところで泳ぎましょうということです。
雑魚がもしも勘違いして太平洋に出ていったら、鯨に飲まれてしまいます。逆に太平洋にいる鯨が浜辺に来るとお腹がつかえて死んでしまう。だから身の丈に合った商売をしましょうということで、この言葉を踏襲しています。
北海道から沖縄まで、営業マンが毎月飛び回る
─3万アイテムを扱う営業体制について教えてください。
NBメーカーには専属の営業マンがいますが、愛菓子メーカーには営業が手薄な所もあります。どら焼きやチョコ、飴やおかきを製造はするけれど、販売する部門が少ない。それを我々が営業のお手伝いをさせてもらっています。
北海道から沖縄まで営業マンが毎月飛んで回っています。私は社長ですが、沖縄担当営業マンでもあります。営業先にはスーパーもあれば介護老人保健施設やパチンコ店、アミューズメント施設などもあって、様々な業種・業態で愛菓子の需要があります。
当社の営業マンは3週間かけて出張に出ます。例えばある営業マンは、今日の夜6時のフェリーで九州に行きます。明日の朝8時に門司に着いて、大分、宮崎、鹿児島、熊本、長崎と回って4000キロぐらい走ります。それを毎月やっています。
─営業で大切にしていることは何ですか?
例えば、スーパーのバイヤーさんに「今度このタレントさんのCMが入ります」と言ったら、100%そのお菓子は棚に置かれます。でも我々の愛菓子メーカーはそういう後ろ盾が一切ないので、スーパーのバイヤーさんに取り上げてもらうには、我々営業マンの腕一つにかかっています。
だからこそ、このお菓子はこういう味で、こういう原料を使って、こういう人数で作ってて、新潟で、高知で、千葉で、とその全てを頭の中に入れています。それを滔々とバイヤーさんに伝えることで愛菓子の魅力を案内しています。それが我々正氣屋の営業マンのミッションなんです。
「レジリエンス力」へこたれない竹のような強さ
─営業マンの育成で大切にしていることはありますか?
野口聡一さんという宇宙飛行士がレジリエンス号という宇宙船に乗りましたよね。野口さんは船名について「困難な状況から回復する力、強靭性を意味する」とおっしゃっていました。
竹をイメージしてください。普通の木と竹の差は何かというと、竹には節があるんですよ。木には節がない。だから雪がしんしんと積もってくると、木はポキッと折れる可能性がある。竹は節があるのでパサッと跳ね返します。
このパサッと跳ね返す力、節があるから折れない強さがレジリエンス力、復元力なんです。特に営業マンにはそういう強さ、苦しいことがあってもへこたれない、なんとか復元するということをやりましょうと言っています。
毎月10回以上の展示会出展とBig Advanceの活用
─販路拡大のための取り組みについて教えてください。
当社は15年ぐらい前から、東京、大阪、福岡などの外部展示会に積極的に出展しているんですよ。去年は13回出ました。
外部展示会は一石二鳥なんです。当然、当社のブースにお客さんは来られますが、もう一つ、出展しているブース同士で「ここに仕入れ先があるやん」「香川県にもあるやん」などと言って、どんどん仕入れを増やしていけるんです。
Big Advanceも、ネット上の展示会だと思っています。総務の者が入口の部分を担当してくれていて、全国のさまざまな会社と成約にも繋がっていますね。
彼が月初の会議で、「4月はこんな企業から問い合わせがありました」「5月は何社と会いました」と月間の活動報告をしてくれるんです。それを聞いて「このメーカーやりましょうか」とか、色々な判断をしていっています。
稲盛和夫と合氣道の師が支えた経営の柱
─安井様の人生に大きな影響を与えた出会いについて教えてください。
私には二大柱があります。稲盛和夫さんと、合氣道の師匠である佐々木將人(ささきまさんど)さんです。
44歳ぐらいから稲盛和夫さんの盛和塾という塾に入ったからこそ、自分の羅針盤が明確になりました。稲盛和夫さんの薫陶を受けたから今があるというのは間違いないです。
稲盛和夫さんには「順境も逆境である」と教えられました。順境の時は、すごく追い風が吹いている時です。でも順境でも調子に乗ってるとガツンとやられてしまうから、順境といえども調子に乗るなということです。稲盛和夫さんには経営とは何ぞやという基本から、人生・仕事の方程式=「考え方」×「熱意」×「能力」で決まると教わりました。
佐々木將人さんは思想家の中村天風の弟子で、晩年のカバン持ちをやっておられた方です。神主さんでありながら合氣道の師範でもあり、私の大学の派遣師範として年に3、4回関東から来て我々を指導してくれていました。
佐々木さんには礼儀とか作法とか考え方とか、神道に基づいた指針みたいなもの、生きざまを注入してもらいました。
この佐々木將人さんと稲盛和夫さんのミックス型が私なんですよ。それをいかに正氣屋に落とし込んで数字を出せるか、というのを日々実践しています。
65歳で初マラソン完走、100周年記念の挑戦
─那覇マラソンを完走されたそうですね。
100周年記念で何か始めようと思って、100周年記念パーティーの時に「私は65歳でマラソンに初挑戦して完走しました」と言おうと思ったんです。
去年2024年12月1日に那覇マラソンを初挑戦で完走しました。42.195キロを5時間36分42秒で完走できたことが、自信に繋がりました。
マラソンのためにトレーニングをしていたら1年で7キロ自然に痩せたんですよ。急に痩せたので周りには心配されましたが「走っているので、健康になっています」と言えるようになりました。
去年、応援にきてくれた社員の1人が触発されて「僕も、今年出ます」と言って、私もまた出ざるを得ない状態になりました(笑)。一緒に最後まで頑張りましょうと、今年の12月にもう一回出場することになっています。
300年企業を目指す次世代への想い
─今後の展望について教えてください。
100周年で調子に乗ってたら足元を掬われてしまうので、101年目に向かって今動いているだけだと思っています。京都に行ったら七味屋さん、竹細工屋さん、西陣織屋さんなど、200年、300年やっておられる所が沢山あるので見習いたいです。「雑魚は磯辺で鯨は沖で」をしっかりやれば残れるのではないでしょうか。
そんなに大きくなくていいので、長く続く会社として、愛菓子を扱わせたら日本一と言われるところまで行こうと思っています。マラソンを走れるうちは私も元気ですから、行けるところまで走ろうと思っています。
─最後に、経営者として大切にしていることはありますか?
「下手の考え休むに似たり」という言葉があります。迷ってばかりいて「ああじゃない、こうじゃない」と言っているのは意味がない。動いて、答えが出て、失敗してもやり直したらいいんです。
その連続だと思います。失敗してもやり直すという、そのことができるかできないかだけです。私だって何百回も失敗していますから。
アンパンマンのやなせたかしさんは50歳のときにアンパンマンを発表されていますが、アニメ化されたのは69歳です。それまで代表作がなかった。69歳まではレジリエンス力の連続だったんです。だから、へこたれない力は絶対必要だと思いますし、もうスーパーポジティブにやるしかないと思っています。ぼやっと座っているだけでは何もできませんからね。
<会社情報>
正氣屋製菓株式会社 | |
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所在地 | 大阪府大阪市阿倍野区阪南町3-2-13 |
設立 | 1925年 |
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※情報と肩書は取材当時のもの |