「気球を通して心に残る景色と思い出を提供したい」
夢を実現する会社 ジャパンバルーンサービス

「風まかせ」で飛行する熱気球に乗っている間は、風を感じません。そこには、ただ目の前にある絶景を心に焼き付ける時間と空間があります。そのような不思議な体験を通して、人々に「学びや喜び、自然と遊ぶという経験」を提供している会社があります。
今回は株式会社ジャパンバルーンサービス代表の町田様に、熱気球の魅力や、熱気球を通した社会への価値提供について、お話を伺いました。
株式会社ジャパンバルーンサービス 代表取締役 町田 耕造 様
事業は、その先にいる人々に感動を与えるためにある
-御社の事業内容について教えて下さい
当社は熱気球の専門会社として1978年に設立しました。
中心となる事業は熱気球大会の開催です。当社が運営する熱気球大会はその主催組織を各地域に作るところから始まります。1993年には熱気球大会をシリーズ化して「熱気球ホンダグランプリ」をスタートしました。現在、佐賀県佐賀市や長野県佐久市で定期的に行われている大会は、経済的な側面でも地域を活性化しており、佐賀市で行われた直近の2大会では、地元に60億円以上の経済効果をもたらしたと言われています。
佐賀大会は5日間で90万人の観客を動員して日本最大のスカイイベントに成長しました。
もう一つの柱は、イギリスの世界最大の熱気球メーカー・キャメロン社の販売代理店として、日本で熱気球の輸入・販売を行っていることです。
それに加えて、現在は大きく4つの事業を行っています。
一つは、係留した熱気球(バスケットの四方をロープでつないだまま昇降する)の体験搭乗会です。
50m×50mの土地さえあればどこでもできるので、全国各地で搭乗会を開催しています。特に、所沢の航空記念公園では毎月行っており、毎回約150〜200人ほどの参加者が集まります。気軽に、かつ安価で気球の搭乗をお楽しみいただけるため、予約受付から10分も経たずに予約がいっぱいになるほど人気のイベントです。
二つ目は、熱気球観光フライトです。
熱気球係留フライトを体験したお客様は、「ロープを付けずに空を飛んでみたい」と考えます。トルコやオーストラリア、南アフリカ等、世界各地では熱気球のフリーフライトは盛んに行われています。当社はこの観光フライトを、日本最大級の熱気球を使って実施し始めました。
今後、日本各地で熱気球観光フライトを展開していくことを計画しています。
三つめは、小学生に向けた「熱気球体験教室」です。
小学4年生の理科の実験で「空気はあたたまると軽くなる」ということを習いますよね。この体験会では、和紙で作った熱気球を飛ばして体験してもらいます。実際に自分たちが作った気球を飛ばすこともでき、普段の理科の実験とは違い、全身で物理のフシギを感じることができます。気球を用いた楽しい学びを、今後も多くの小学校で展開していく予定です。
その熱気球教室の進化した形が、子どもたちに向けた「ワンダーグローブプロジェクト」です。
NASAが撮影した宇宙からの地球の画像を気球に印刷して、本物の地球に見立てたうえで、子どもたちに問います。
「地球を見たことがある人?」
そう聞くと、100人の参加者のうち2〜3人の子どもしか手を挙げません。その子たちは「テレビで見たことがある」と言います。
私が伝えたいのは、今君たちが住んでいる星こそが地球で、毎日見て触れているんだ、ということです。最近の学校では、「南極の氷が溶けて生き物たちが住めなくなる」「砂漠化が進むと食糧の生産基盤が失われる」といった、暗い話を環境教育として教わることが多いです。そうではなく、広大な海と土地がある地球という奇跡の星に住んでいるということ。そして、その地球を、これから先どのようによりよく次の時代に伝えてゆくかを、子どもたちと一緒に考えていきたいのです。
四つめは、「空を見上げて」というプロジェクトです。
このプロジェクトは、東日本大震災が起こった2011年の8月に始まりました。岩手県の大船渡市に熱気球5機を持ってゆきました。被災地の様子は、震災から5ヶ月経った当時も悲惨なままでした。そこで気球の搭乗体験会を開催すると、多くの被災者の方から喜びの声をいただきました。アンケートに、「被災後、下ばかり向いていたが、気球に乗って空を見た。これからは上を見て生きていかないといけないと思った。」という回答がありました。このアンケートをもとに名付けられたのが、「空を見上げて」です。震災後も定期的に被災地や東京で熱気球イベントを開催し、その回数は30回以上にわたります。
大きな価値を創造するためには、提案を実現する組織であること
-そこまで気球に惹かれた町田様の、気球との出会いから現在までの軌跡と、気球の魅力を教えてください
私が気球に魅力を感じたのは、その自然性です。飛行機と違って、気球はどこに飛んでいくのか、どこに着地するのか、その日の天候に左右されます。風の流れを信じ、音のない不思議な空間のなかで、人は自然に抗えないということ、「自然とあそぶ」とはこういうことだと感じました。
私が最初に気球を作ったのは、1974年でした。
1969年に、北海道で日本初の熱気球・イカロス5号が空に浮かび、「自分たちでも気球を作ることができる」と日本中が注目しました。私もその中の1人でした。
当時大学生だった私は商学部に所属していましたが、他学部の仲間約10人と一緒に自作で熱気球を作りました。球皮をミシンで縫い、バスケット部分も全て自作でした。大学卒業後、株式会社ジャパンバルーンサービスを立ち上げ、1983年にはフランスで開催された熱気球世界選手権に日本代表として出場し、そこで「世界選手権を日本でやりたい」という思いが芽生えました。
1989年に佐賀市で、約117万人の観客を集めてアジア初の熱気球世界選手権を開催し、その願いが実現しました。このイベントの成功は、私にとって大きなターニングポイントでした。
私は、「誰かが提案したことを実現する」ことが組織にとって非常に大切だと考えています。
「気球で食べていきたい」という漠然とした夢から、一つ一つ、そのために必要なことに挑戦し、実現に努めてきました。この信念は今後も変わらず、まだまだ多くの新しいことに挑戦し、お客様の笑顔のために、願いを形にしていきたいです。
同じ夢を持つ者同士が協賛し、想いは伝承され、形になる
-「気球で食ベてゆきたい」という夢をまさに実現していらっしゃいますよね。町田様が気球に多くの時間を費やす中で、印象的な出会いはありますか?
二つあります。
一つは、イカロス5号の設計者である嶋本伸雄さんとの出会いでした。嶋本さんに会いに行き、直接熱気球の作り方を教えてもらいました。きっと彼は、当時教えてほしいと言ってきた若者全員に教えたんだと思います。彼が躊躇うことなく気球の作り方を伝承してくれたことが、今の私の事業につながっています。
もう一つは、ホンダとの出会いです。ホンダと言えば自動車をつくる会社として有名ですが、ホンダの前身である本田技研研究所を設立した本田宗一郎氏の言葉に、「ホンダはいずれ空を飛びたい」というものがありました。1989年の佐賀で開催された熱気球世界選手権で、ホンダの3代目社長・久米是志氏が気球に搭乗し、その場で熱気球大会のスポンサーになることを約束してくれました。久米氏は、「ホンダはこれまで風を切ってきたが、これからは風を読み、風に乗る時代が必ず来る。それを気球が教えてくれる」と言い残しています。この言葉があるから、熱気球ホンダグランプリというイベントが30年以上にわたって続いているのだと思います。
私にとってお2人との出会いは、今の事業を確立するために非常に大切な出会いでした。
気球の魅力を全国に広めたい 今後の事業展開について
-最後に、今後の展望について教えてください
今後はやっぱり、気球をもっと日本中に広めていきたと思っています。現在は、日本初の10人乗りの気球を導入し観光フライト体験も始めています。初日の出を気球に乗って見るプランや、記念日にフリーフライトを楽しんでもらうプランがありますが、1日に飛ばせるのは1機のみです。より多くのお客様に「忘れられない特別な日」をつくっていただくため、PRを強化し、環境を整えていきたいと思っています。
またBig Advanceを通して、全国の地域を活性化させたい自治体やイベント運営会社と共に熱気球を通して新しいことをやりたいと考えています。学校の体験学習や結婚式、旅行中のアクティビティとして気球に乗るなど、気球の可能性は計り知れません。その可能性を、より多くの人に知っていただけるよう、気球の魅力を世の中に広めていきたいと思います。
<会社情報>
株式会社ジャパンバルーンサービス
所在地 東京都東村山市野口町4-20-3
設立 1978年
URL https://www.japan-balloon-service.jp/
※情報と肩書は取材当時のもの
※一部画像は株式会社ジャパンバルーンサービス様提供